Chapter 4 / Once After Landing -The Days Of Sessions
第4章 それぞれの道


PILOTとしての日々に終止符を打った彼らは、その後の四半世紀を主にセッションを中心に活動していく
ことになる。おとなしげで控えめな外見や物腰とは裏腹に、彼らの実力の程は折紙付きであったため、その
活動は非常に多岐に渡る。きっと驚かれるはずだ。詳しくはセッションのページをご参照願うとして、
ここでは主なものを押さえながら彼らの足跡をたどってみたい。

David Paton


 デイヴィッドはデビュー以来の付き合いであるAlan Parsonsとまずは
行動を共にし、アラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)のファースト・アルバム
The Tale Of Mystery And The Imagination(76)からStereotomy(85)まで
の9枚に参加している。ベースのみならずヴォーカリストとしても力量を
発揮し、シングルにもなったLet's Talk About Me(Vulture Culture) を始め、
Chidren Of The Moon(Eye In The Sky)、What Goes Up(Pyramid) 、
I'd Rather Be A Man(Eve)の4曲でリード・ヴォーカルをとっている。
APP名義の最後のアルバムGaudi(86)には不参加だったが、それは85年
Elton JohnのアルバムIce On Fireでベースを弾いたのがきっかけで、
その後のワールド・ツアーにも参加することになったからだ。「ガウディ」
への参加をEric Woolfsonが電話で要請してきた時には既にそれが
決まってしまっていたため、APPの方は断らざるを得なかったという。
エルトンとはライブ盤を含む4枚のアルバム、ワールド・ツアーはピンチ・
ヒッターを含めて2回に同行している。また、エルトンのサポートでLive Aid
にも参加しているが、これは彼にとってのウッドストックであり、この
イベントに参加できたことを誇りにしているという。

デイヴィッドはCamelとの縁も深い。 キャメルの創立メンバーであり、現在
ではたった一人のメンバーであるAndy Latimerとは、アラン・パーソンズを
介して知り合い、The Single Factor(82)(キャメルはここから事実上
アンディ・ラティマーのソロ・プロジェクトとなる)から Harbour Of Tears(96)
までの5枚のアルバム(ライブを含む)に参加、82年のキャメル結成10周年記念
ツアーにも同行している(このツアーにはStuart Toshも同行)。ここでも
Heroes(The Single Factor所収。82年のライブ盤にも入っているが、そちらはAメロ
のみデイヴィッドがリードで、残りはクリス・レインボウが歌っている)、
Rose Of Sharon(Dust And Dreams)、 Send Home The Slates(Harbour Of Tears)の
3曲でリードを歌っている。中でも名盤Dust And Dreams中の白眉とも言える
Rose Of Sharonは出色の出来で、ヴォーカリストとしてのDavid Patonが達した最高峰
だと私は確信している。彼とデュエットするMae McKenna(ex-Contraband)の歌も
素晴らしいの一語に尽きる。ちなみにこの曲は日本のキャメルFCの人気投票で
堂々首位に輝いてもいる。



Rick Wakemanとの多くの仕事も忘れてはならないだろう。「ウェイクマンの一番の
お気に入りベーシスト」とも呼ばれて多くのアルバムに参加、ビデオやDVDでも
その姿を見ることが出来るのはファンとして誠にありがたい。また、90年代に入り、
長のロンドンでの暮らしを切り上げて故郷エディンバラに居を移したデイヴィッドは、
同じくエディンバラに住むフィッシュ(ex-Marillion)のバンドの一員として彼を
全面的にバック・アップすることになる。奇しくもフィッシュの父親は、かつて
エディンバラ時代のデイヴィッドが出演していたクラブの従業員だったという。
Internal Exile(91)からスタジオ盤、ライブ盤、マキシ・シングル等にサポートとして
のみならず作曲面でも協力し、その間のツアーにも無論全て参加している。
そんな緊密な関係にあったフィッシュとそのバンドだったが、95年のクリスマス、
ほんの些細な行き違いからフィッシュが猛烈に腹を立て、デイヴィッドを含む
数人が彼と袂を分かつ。その時の誤解は後々まで尾を引き、危うく訴訟にまで
発展するところだったという。

また、ポール・マッカートニーのMull Of Kintyre(77)にイアンと共にコーラスで参加
しているが、クレジットがないせいもあって殆ど知られていない。なんでも、APPの録音を
していたら、スタジオの隣の部屋にいたポールが「丁度スコットランドの歌をやっているので君たちも
コーラスに参加してくれないか」と言ってきたそうで、ビートルズ、ことにポール・マッカートニーの
大ファンであるデイヴィッドにとって、これは忘れることの出来ない素晴らしい思い出で
あるようだ(ビートルズに特に興味のないイアンがこの件に無頓着なのと好対照である)。

その後は地元スコットランドのアーティスト(主にトラッド)のサポートを中心に、
後進の育成、国内外での各種イベントへの出演、自身の演奏活動も勿論
精力的に行い、ソロ・アルバムも2枚発表している。Passions Cry(91)とFragments(96)
である(アルバムのページ参照)。共にスコティッシュ・トラッドであり、パイロット時代の
サウンドとは趣を異にするが、やはり紛れもないデイヴィッドの音楽であり、2枚とも
地味ながら温かい素晴らしいアルバムである。他に80年にEMIとの契約でソロ・アルバム
を1枚録音しているが、当時レコード会社が求めていたパイロット風のものではなかったため、
録音まで済ませていながら直前に発売中止の憂き目を見てしまった。その中から
僅かに2曲だけがシングルNo Ties No Strings(B面はStop And Let Go)として同年に
日の目を見ている(シングルのページ参照)が、いつの日かそのアルバムも発表されることを
願い続けよう。その他にも90年代に入ってから、PILOT名義でJust A Smile,
Magic, Januaryの再録音がある(詳しくはこちら)。こちらは落ち着いた大人の声が
かえって新しい魅力を産んでいる。私生活ではガーデニングに打ち込み、
結婚30周年を迎えたMary夫人との間に既に成人した2人のお嬢さんがある。

(写真左上/エルトン・ジョンのLP「レザー・ジャケット」の裏ジャケットより
写真右/90年代前半のDavid Paton)


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