Ian Bairnson


                                 David と同様、Ianの活動も非常に多岐にわたるが、彼の場合は常に
    Alan Parsons との仕事がメインにあった。まずはそこから見てみよう。
    イアンはアラン・パーソンズ・プロジェクト(APP)のファースト・アルバム
    The Tale Of Mystery And The Imagination(76) からGaudi (87)
    までの全作品に参加、その後 アランがEric Woolfson との長年のコンビ
    を解消してソロに転じた後も、ずっとアランの作品に参加している。
    途中、エリックがミュージカルの世界に身を投じるきっかけになる
    Freudiana(90) という作品はあったものの、アランが自分のとるべき
    道を悩んでいたその時、「あなたならできるよ、ソロでもライブでも」と
    彼を励ましたのはイアンだった。そしてソロとしてのアラン・パーソンズ
    がリリースした Try Anything Once(93) から The Time Machine(99)
    までのライブを含む4枚のアルバム全てで、アランの右腕として支え続
    けた。その活躍はギタリストとしてに留まらず、作曲面でもかなりの貢献を示し、
    シングル・カットされた曲も多い。また、ごく限られた期間でサックスを習得し、
ステージを一層彩り豊かなものにしたのも彼だった。そう、APP時代はライブをしなかった(数回の例外
はある)アランだが、ソロになってからは精力的にステージをこなし、大規模なツアーにも出ている。
97年、99年、01年と来日もした。しかし、01年夏の日本公演 を最後に、アランはAlan Parsons
Project時代からのメンバーとのステージ活動をやめてしまった。最大の理由はアランが再婚してアメリカに移住したことだった。
他のメンバーはイギリスに住んでおり、大西洋を挟んでの活動に限界を感ぜざるを得なかったのだという。
アランはソロ活動は続けており、現在は全く新しいメンバーとステージに立っている。
(写真上/Elain Paige と彼女のアルバム録音中(81)に)


アランとの活動を軸に、イアンは様々な仕事を残している。アランとのごく
初期の仕事の一つが、Yvonne Keeley による Tumbling Down (74)だった
が、この時イアンは、彼のギターに魅了されたSteve Harley からコックニー・
レベルへの参加を懇願された。Pilot 参加以前のことである。結局彼は
一から出発できるパイロットを選ぶのだが、その後、Hobo With A Grin (78)
というスティーブのソロにギターで参加した。同じ78年には Kate Bush の
デビュー・アルバム The Kick Inside の「嵐が丘」で印象的なソロを弾いて
いる。ケイトはイアンの低い声をとても気に入り、バッキング・ヴォーカルを
含めて4枚のアルバムで彼の協力を得ている。

デビューから解散までイアンがサポートしたグループの一つにBucks Fizz
がある。ユーロヴィジョン・コンテストから生まれた男女二人ずつのコーラス・
グループで、80年代のヨーロッパで非常な人気を博した。イアンは彼らの
全ての作品に関わり、作曲も数多くこなしている。イアンの曲である If You
Can't Stand The Heat もシングル・カットされ、ヒットした。余談ながらこの
バックス・フィズ は、音楽性が近かったことや同時代であったこととあい
まって、ビリーがデビューから解散までサポートし続けた Dollar と事ある
ごとに比較されていた。
(写真左/Yvonne Keeley のシングル Tumbling Down (74))



そのバックス・フィズのプロデューサーだったAndy Hill や彼の妻でやはりミュージシャンの Nicola Martin らと
Paris というグループを組んでいたのも80年代のことである。特に81年の Have You Ever Been In Love では
ジャケットにも写っている。パリスは4枚のシングルを残しており、作曲も含めて全作品に参加しているものの、
彼の写真が使われているのはこれ一枚である。


    また、イアンにはドイツおよび日本のミュージシャンとの仕事も
     多い。


     まずドイツだが、Eberhart Schoener, Uwe Buschkotter, Harold
     Faltermayer らとの仕事の他、特筆すべきものとしてジャズ・
     ピアニスト Hermann Weindorf とのユニット Panarama がある。
     イアンは共作も含めて全曲を作曲し、ギターは勿論だが、3曲で
     リード・ヴォーカルをとっている(セッション別項参照)。ファースト・
     アルバムの Can This Be Paradise はドイツでテレビドラマ(探偵
     ものらしい)に使われたことも手伝って、収録曲違いのセカンド・
     プレス、ダイレクト・メタル・マスタリング盤と都合3回出ている。
     しかし、内容を考えるとイアンのファンは初回盤(番号)を買わね
     ばならない。また、セカンド・プレス以後についてはイアンは
     出ていることすら知らなかったそうだ。





次に日本である。優れたプロデューサーであり名アレンジャーでもあり(寺尾聡の「ルビーの指輪」のアレンジが
特に有名)、自身の名義でも多数のアルバムを発表している井上鑑氏とのつながりで、イアンには日本人
アーティストとの仕事も突出して多い。井上氏自身の作品を筆頭に、杉真理、飯島真理、杏里、 
チャゲ&飛鳥、小泉今日子、浅香唯、佐々木幸男、佐木伸誘など、それこそ枚挙に暇がない。
  

他にも Jon Anderson, Tom Jones, Lenny Zakatek, Kenny Rogers, Tam White, Chris Rainbow などの他、
90年代に入ってからは Beverley Craven をスタジオとステージの両面でサポートしており、彼女がアラン・
パーソンズの The Time Machine で歌うことになったのは、その縁によるものと思われる。彼のセッションの
詳細についてはセッションのページおよびセッション別項をご覧いただくとして、セッション関連では最後に
KEATS(1984)を挙げておく。このバンドはいわゆるスーパー・グループであった。メンバーがすごい。
当時のAPPの要であったドラムスのStuart Elliott、ギターの Ian、 ベースのDavidの3人に、ヴォーカルとして
元ZombiesのColin Blunstone、キーボードに元Camelの故Peter Bardensを加えた5人というそうそうたる
顔ぶれであったのだから悪くなりようがないようなものだが、Alan Parsonsプロデュースによる同名のアルバムを
1枚残すにとどまってしまった。個人的には大好きであるが、世間の評価はあまり芳しくなかったようだ。

また、意外なところでイアンの姿が見られるのが映画 Papermask (邦題「背徳の仮面」、ビデオあり)である。
イアンの役はパブ・バンドのギタリストで台詞こそないものの、しっかりと画面に映るし、ちょっとした演技もあり、
エンドロールでは名前も出る。因みに、このバンドはそっくりそのまま当時のTam White Bandである。タムは
ジャズ歌手で、イアンとはエディンバラのTiffany's のハウス・バンド Band Of Gold以来の仲間である。
元々ジャズ的要素の強いプレイを得意とし、Stanley Clark や Steve Gadd との共演や Ronnie Scott's 等の
ジャズ・ハウスにも出演しているイアンのこと、最近ではそういう傾向の作品も多いそうだ。
私生活ではオフ・ロード・バイクを趣味とし、99年にブラジル人トップ・モデルのLeila夫人と再婚している。
(写真上/Paris の Have You Ever Been In Love ジャケット写真(81)より)


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