Two's A Crowd



パイロットはデイヴィッドとイアンのデュオとして、EMIから新興レーベル・
アリスタへ移籍した。これは再び彼らをプロデュースすることになった
アラン・パーソンズが、Alan Parsons Project としての長期にわたる世界
規模での契約をアリスタと結んだことによる。1977年7月、移籍後初、
通算10枚目のシングル Get Up And Go / Big Screen Kill (ARIST111)
が発売された。曲をご存知の方は歌詞を思い出していただきたい
(ご存知でない方は、まさみさんの訳詞ページへどうぞ)。あまりにも
いろいろなことがあり過ぎた76年を振り返るのはやめて、前へ進もうと
している彼らの姿に心動かされる筈だ。レコード評は「Second Flight
までの路線に戻った。典型的なパイロット・サウンドである」 というものが
主だったらしい。

この頃になると、音楽新聞・雑誌の類に登場する機会が激減し、 大分
探してはいるのだが、Morin Heights の頃よりも更に少ない。
(写真右/Two's A Crowdのプロモ写真)

9月には11枚目のシングル Monday Tuesday / Evil Eye (ARIST139) と、
4枚目のアルバム Two's A Crowd (SPARTY1014)(邦題 「新たなる離陸」)
が発売された。シングルはストリングスやオーボエを効かせた甘い曲調
だったため、前作に比して評は辛口に傾いていたようだ。「評価に悩む」
「ストリングス・アレンジをいじり過ぎ」「詞に新味がない」等々。
そして、結果的には最後のアルバムになってしまったTwo's A Crowd は、
パイロットの最も洗練された作品とも言える。二人になって、パイロットの
エッセンスが際立つ結果になったのかもしれない。キーボードにSteve Swindells、
ドラムにTrevor Spencer と Henry Spinetti を迎えて制作されたこのアルバムを聴いていると、随所にビリーの影が見え
隠れするような気がするのは私だけだろうか?ここでのSteve Swindellsのスタイルは、ビリーのそれをかなり意識した
ものに思える 。Swindells本来のスタイルはもう少しタッチの強いものだから、これはパイロット側の意向が働いた結果
であろう。 それをビリーのためにデイヴィッドが空けてある場所だと信じるのは、ひとり私だけではない筈だ。デイヴィッド
にとってビリーの代わりになる人間は遂にいなかったのだと思えてならない。

さて、この物語の題でもある Library Door 「図書館の扉」 という曲は、このアルバムに収録されている。最後のアルバム
であるところがまた暗示的でたまらない気持ちになるのだが、この曲についてはデイヴィッド自身の言葉から引用させて
もらうのが最もよく伝わるであろう。

「この曲を僕はビリーに宛てて書きました。これは実際にあったことそのままなんです。この曲を書いた頃、何故ビリーが
ゲイなのか、僕には理解出来ませんでした。彼はどうかしてしまったのだと思っていたんです。『図書館の扉』 は僕らが
Bay City Rollers を離れた後で出会った時のことを歌っています。僕は帰ろうとしていて、彼はちょうど来たところ、ドアの
ところでばったり出くわして驚きました。顔を見るのは半年ぶりぐらいでしたね。ビリーは当惑したんでしょう、言葉が
出て来なくて困っていました。でも、それも最初だけで、僕がこの再会を喜んでいることが分かるとそれもなくなりました。
そして遠慮がちに、彼が働いている Craighall Studios で一緒に音楽をやりたい、と切り出したのです。あの図書館での
再会こそが Pilotの始まりでした。今でも昨日のことのようにはっきりと思い出します。ビリーは赤くなったんです、何故
だと思いますか?彼には僕の、僕には彼の友情が必要だったんです」

ビリー脱退後の二人の関係のもうひとつの側面を表すエピソードもある。「Mr. Do Or Die (「ミスター・ドゥ・オア・ダイ」)
もビリーに宛てて書いたのですが、これは僕の怒り、腹立ちです。ビリーは Don't Be Silly (「愚かなビリー」 Solo Casting
に収録) を僕に向けて書いたんです。彼が Maniac を書き、僕はそれに自分のコーラス部分を付けて Morin Heightsに
入れた、それと同じことです」。

だが、「図書館の扉」 がそれまでと決定的に違ったのは、相聞とも言える曲のやりとりがここで途切れたことだった。
「図書館の扉」 に対して、ビリーは返歌もしなければ、デイヴィッドの望むような行動も遂に起こさなかった。

この他にも、デイヴィッドは結構現実に題材をとった詞を書いている。例えば Evil eye (「邪悪な瞳」) は彼らのマネージャー
だったヒース兄弟のことである。パイロット消滅の大きな原因のひとつは、実は彼らであった。そもそもパイロットはアラン・
パーソンズと同様、アリスタとは長期にわたる全世界規模の契約を結んだのだ。その上、Two's A Crowd の発売に合わせて
78年早々にはアメリカ・ツアー(アリスタはアメリカに本拠を置く)も予定されていた。それが何故、アルバム1枚、 シングル
3枚だけで消えるともなく消えてしまったのか?アリスタがアルバムの制作のために前渡ししていた費用を、マネージメントが
別の用途に使ってしまい、その穴埋めのために、デイヴィッドとイアンにセッションの仕事を次々と取ってくるようになったの
だそうだ。言われてみれば、この頃の彼らの仕事には関連の読めない唐突なセッションが少なくない(セッションの項参照)。
当時のデイヴィッドはヒース兄弟を無用であると思い、縁を切りたいとまで思いつめていたが、今では、彼らも過ちを犯したが、
自分たちもまた過ったのだ、と思えるようになったらしい。イアンも 「このままではパイロットを続ける意味がない」 と考え始めた。
11月、12枚目にして最後のシングル Ten Feet Tall / One Good Reason Why (ARIST155)が発売されるが、「テンポが
中途半端でどうも」 などとあまり評判にはならず、シングル数枚分の録音を未発表で残したまま(この時に彼らはコーラスを
入れに来ていたChris Rainbow と知り合い、以来親交が続いている)、パイロットはアラン・パーソンズ・プロジェクトに吸収
されるような形で消えていった。それが1978年、Just A Smile でデビューしてから4年に満たない日々のあっけない幕切れ
だった。

Two's A Crowd のクレジットの最後に、"Thank you Clive for the opportunity and to all our friends who believe in us."
とあるのに気づいた方も多いだろう。Clive とはアリスタの創業社長(最近その職を退いた) Clive Davisであり、後半の言葉は
彼ら二人が短期間に通り抜けねばならなかった沢山の苦労を思わせる。そして、この続きを待ち望んでいた人々の願いは
叶えられることなく20年以上を数えた。そして、短命だったパイロットというバンドの決して多くはないアルバムの中でも、
このアルバムだけは未だにCD化されていない。理由は分からないが、アリスタは自社でCD化しないのみならず、C5(パイ
ロットのベストを含む4枚のアルバムをCD化しているヨーロッパのリイシュー専門の会社)を初めとする数社の申し出を断り
続けてきたそうだ。また、2002年のイアンのインタビューによれば、既にアリスタにもその権利がないという。しかし、この
アルバムは紛れもない名作であり、時の隙間に置き忘れられてしまってよいものでは絶対にない。いつの日か、CDに装いを
変えて、一人でも多くの人の耳に届くことを願い、信じて待っているファンは少なくない。現に、かつて「廃盤復刻計画」という
CD化を訴えるページがあったが、このアルバムは投票開始以来常に上位を占め、洋楽では第1位を独占していた。他にも
同様のサイトで熱い訴えが相次いでおり、このアルバムがいかに人々の心の中にひっそりと、だがしっかりと焼き付けられて
いるかを如実に物語っている。

Craighall Studios は少し前まで営業していたが、今では廃業して民家になっている。デイヴィッドがビリーと再会した
Edinburgh Central Library は、エディンバラの中心からしばらく歩いた静かな George IX Bridge に今もそのままの姿で
佇んでいる。



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