Solo Casting




1976年、パイロットを離れたビリーは、ソロ・アーティストとして活動を始めた。
第一弾 (そして結果的には唯一の作品)は同年夏の終わりに発表された
アルバム 「眠りの精」 Solo Casting (EMA 780) と、 そこからのシングル 「夢
見る2人」 Us / Maniac (EMI2515) だった(9月3日発売)。一部はフランス
で録音されたというこのアルバムは、8月6日発売の 「モーリン・ハイツ」 (EMA
779) とは番号続き (おそらくは同時発売) であった。企業としては抱き合わせ
のつもりもあっただろうから、「モーリン・ハイツ」 の発売が遅れたのは、もしか
するとビリーのソロ・アルバムが完成するのを待っていたのかも知れない。

この 「眠りの精 (CD化に際しての邦題は「ソロ・キャスティング」)」 は、プロデュー
サー兼エンジニアに Robin Geoffrey Cable を、コンダクター兼アレンジャーに Paul
Buckmaster を迎えて制作され、カバー・アートおよび写真が Hipgnosis という、
会社側としても相当に力の入った布陣だった。バックを固めるのは Phil Chen
(超セッション・マン集団 として知られる Gonzalez や最盛期の Rod Stewart
Band)、 Phil Collins (ご存知 Genesis)、 Robert Ahwai (Gonzalez や Jeff
Beck Band) といった実にそうそうたるメンバーに加えて、感情のもつれや突然の脱退劇によるしこりがないことを殊更に
示すかのように、元同僚 Pilot の3人も随所で力を貸している。特にシングル・カットされた「夢見る2人」 で、伸びのある
印象的なリード・ギターを弾いているのはデイヴィッドであり、ビリーらしさ全開の佳曲 「スーパートレーダー」 で聴き違え
ようのないソロを弾いているのはイアンである。トッシュ君はフィル・コリンズがいたせいか控えめだが……。ビリー自身も
全曲を作詞作曲、殆どのキーボード類を弾き、ストリングス・ アレンジメントも半分は自分でこなしている。にもかかわらず、
レコード評は散々なものだった。曰く、「大仰だ」 「古臭い」 「曲は悪くないが、バックマスターのアレンジのせいでテーマ
がストレートに伝わってこないのが惜しまれる」、 果ては 「声に今一つパンチが足りない」等々。それまでのパイロットの
3枚のアルバム評は悪くても賛否両論、「モーリン・ハイツ」 などは好意的な評が大勢を占めていたほどであったが、この
ビリーのソロに関しては、プレス全体で示しあわせていたのではないかと勘ぐりたくなるほど悪評に傾いている。しかし、
個人的には実にいいアルバムだと思う。 殊にA面 (既に死語だが、ここでは敢えてそう呼ぶ)の5曲の流れは見事の一語
に尽きる。万人向けでないことは確かだが、ファンにとっては、いかにもビリー好みの詰め込み過ぎのアレンジが却って
たまらない魅力として映ることだろう。だが、売り上げが思わしくなかったのだろうか、ビリー名義のレコードは、これ以後、
遂に出ることはなかった。
(写真左上/ Diana 76年1月10日号のポスターより)


さて、このアルバムの B面2曲目に、「マニアック」 という曲がある。ビリーの単独名義
である。「モーリン・ハイツ」 にも同名曲が収録されているが、そちらはデイヴィッドと
ビリーの共作としてクレジット されている。この2曲の違いやその理由に思いを馳せた
ことのないファンはいないだろう。テーマは全く同じものだが、コーラス部分が詞・曲
ともに大きく異なるのだ。この事からも、元々ビリーの作ったテーマがあり、その後に
デイヴィッドとビリーが各々コーラスを付けて、それぞれの 「マニアック」 を完成させた
と考えられる。アレンジにせよ、詞にせよ、二人の個性が色濃く現れた好例だと言え
よう。詞についてはまさみさんの訳詞ページ Words Of Pilot をご参照頂きたい。
デイヴィッド本人の監修による正確な歌詞がそこにある。そして、ここで一番目を引く
のは、 「モーリン・ハイツ」 のマニアックの正式なタイトルである Maniac (Come Back)
の Come Back という言葉だ。ビリーの方にもコーラス部分にその言葉は歌われて
いる。しかし、題名の一部には含まれていない。誰でもピンと来る筈だ、デイ
ヴィッドはビリーに向けて歌っている!と。デイヴィッドはあるインタビューで、Come
Back という一言はビリーに向けたものだと認めている。そして後で分かった事だが、
「マニアック」 はやはり元々ビリーが書いた曲だった。デイヴィッドはそれに独自の
コーラスを付けた。そこには、ビリーがパイロットにとどまってくれることを切に願って
いたデイヴィッドの思いと、ビリーの生き方に対するデイヴィッドの不安が込められて
いたのだ。その事が分かってから改めて二つの 「マニアック」 を聴くと、ビリーの方は
頭の中で組み立てた言葉遊びの色合いが強い詞のように感じられるが、 デイヴィッド
の方は平易な言葉で語られているだけに、一層彼の渦巻くような胸のうちが伝わって
くる。去る者と残される者とでは体温のようなものが違う。別れは、去る者にとっては
あとは決意を告げるだけだが、残される者にとってはそれが全ての始まりだ。
残される者が辛いのは、し残したことの数々が胸を苛むからだ。ビリーとならきっと
出来るはずだった沢山のことどもを数えながら、デイヴィッドは燃え立つような思い
を胸にこのコーラス部分を書いたのではないだろうか。

それから四半世紀の後、デイヴィッドはこの時のことを 「今の僕は運命を信じています。あの時
僕が どんなにそれを変えたいと願っていたとしても、変えることは出来なかったでしょう」 と述懐している。
(写真右/ Record Mirror & Disc 75年12月6日のポスターより、脱退直前の髭面のビリー)



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