Second Flight / Part 2




75年の彼らは、ショウやプロモーションで度々ヨーロッパに出かけている。ヨーロッパ
各国でのシングルのリリース状況を見れば、それも肯けるし、フランスで20分程度のテレビ
用フィルムも撮影した。彼らは数曲演奏し、Passion Pieceでは曲のイメージに合わせて、ホット・
パンツをはいた女の子も登場している。

そんな中で、パイロット以外の仕事にも意欲的だったビリーは、プロデューサーとしての
初仕事にも手を染めている。2月に彼らと同じEMIからグラスゴー出身の Marilyn Miller
という女性歌手が You've Got To Get Me Higher / Now That I've Found You という
シングルでデビューした。彼女はイアンの前妻である。この名前に覚えのある方もいる
のではないだろうか?お手許の Second Flight をご覧頂きたい。コーラスにファースト・
ネームだけクレジットされている Marilyn その人なのだ。トップ・モデルから転身したと
いう彼女は、広い声域と張りのある実に美しい声の持ち主である。詳しくはセッション
別項のページをご覧頂くとして、ビリーは彼女のシングルで両面を作詞・作曲・編曲・
プロデュースし、バックは勿論パイロットである。なお、この曲は「セカンド・フライト」
に収録されている "55 North 3 West"というパイロット唯一のインストゥルメンタル・ナンバー
に詞のついたものだが、この間の経緯を考えると、どうも元々の形はYou've Got To Get
Me Higher の方で、それをインストゥルメンタルにし、曲にもイアンが手を加えたものが
55 North 3 Westであるらしい。他にもビリーはドラキュラ役で有名なクリストファー・リーの
Devil's People という映画の音楽を担当したという情報があるのだが、ドラキュラ映画マニア
の知人に聞いても、そんな映画は知らない、リストにも載ってないとのことだった。何か
ご存知の方は是非ご教示下さい。(我がHP作りの師匠・中島さんより、クリストファー・
リーの敵役の方のピーター・カッシング主演で1977年に同名の映画があるとの情報でした。
でも、音楽はブライアン・イーノ だそうで、これはもしかすると、ビリーの方の話は実現
しなかったのかもしれませんね。師匠、ありがとうございました。/00.10.06追記)

(写真左上/英雑誌 Look-in表紙。この他に特集として折り込みポスターとインタビューあり)



Call Me Round に続くシングルは、 Just A Smile (EMI2338)、彼らの思い出深き
デビュー曲の新ヴァージョンだった。 B面の Are You In Love はデイヴィッドの
曲で、ギター一本の弾き語り。アルバム未収録である。デビュー盤 Just A Smile
はAndrew Powell の過不足ない編曲による美しいもので、デビュー・アルバムと
81年に出たEMIのベスト盤LPにも収録されている。それに対して新ヴァージョン
は、ビリーの編曲によって新しい表情を与えられている。主な違いは、冒頭部の
ギターのカッティング、コーラスが加えられていることなどである。エンディングも
新ヴァージョンではフェイド・アウトする。こちらはC5盤のベストLP/CDなどで
聴くことが出来る。EMIベストとC5盤は実はこの曲以外は全く同じなのだが、
ビリーへの追悼の意を込めてヴァージョンが差し替えられたものと思われる。
C5盤の裏ジャケットには、小さく、This release is dedicated tothe memory of
William Lyall. と書かれているからだ。ひっそりと添えられたこの一文を見て、
初めて彼の死を知ったという人もある。この曲は余り売れなかったように一般には
思われているのだが、実はここに興味深いデータがある。75年10月の時点で、
再発盤 Just A Smile は27万枚売れていてBBCチャート第31位である。ところが、
あの大ヒットMagic は30万枚でBBC第7位なのである。この曲になぜそれほど
彼が拘っていたのか、いずれ分かってくると思うが、とにかく、このことに、ビリーは
かなり苛立っていた。そして、これでだめならパイロットは今後の戦略を変えるとも言っていた。選択肢の一つとして、
これまでのデイヴィッドの曲中心の路線から、次は多分、ビリーの曲をシングルにすることになるだろう、と。言っても詮ない
ことだし、それで成功したかどうかも分からないのだが、今思うと、それが実現されていたら何かが変わっていたのかも
しれない。結果だけを見れば、再発盤 Just A Smile は売り上げの割には不思議なほどチャートではとうとう振るわずに
終わってしまい、他の要因も加わって、ビリーの苛立ちは更に募っていくことになる。そしてこの年、「マジック」 と
「ジャニュアリー」 がまずアメリカで、次いでオーストラリアでゴールド・ディスクを獲得する。共にデイヴィッドの作品で
あった。

(写真右上/Top Of The Pops Annual 75年か76年より)



「配合の妙」 という言葉があるが、ある高名な占い師が、ビートルズは4人が持って生まれた
星の組み合わせが絶妙で、そのためにあれだけの成功を収めることが出来たのだと書いて
いた。占いなんて信じようとも思わないが、性格の組み合わせというのはあると思う。残された
記事や言葉から、パイロットの4人の性格や考え方もある程度は読み取れる。PILOTの「声」
とも 「顔」 とも言えるデイヴィッドだが、彼自身は自分をスターではなく作曲家だと考えて
おり、何よりも欲しいのは曲を作るための環境と時間だった。「金が入るようになってからという
もの、ろくなことがない。この間だって、スチュアートの車からゴルフ・クラブとドラム・セットが
盗まれた(注・後に返ってきた)。丁度 Lady Luck という曲を書いたところなんだけど、『愛が
なければ金があっても何にもならない』 というような内容だよ。金儲けには正直もううんざり
なんだ。金なんかなくたって、曲を書く時間が沢山あったあの頃の方がずっと幸せだったかも
しれない」。それに対して、「パイロットの参謀」 を自任するビリーは少しばかり違った考えを
持っていたようだ。「そんなのは愚か者の戯言だな。金が入れば入るほど僕は嬉しいけどな」
と、まぜっかえすのだった。ビリーはその少し前、「有名にはなりたくないが、金は欲しいね」
という発言で一躍有名になり、デイヴィッドが 「ミスター・パイロット」と呼ばれていたのに
対して、一部で「ミスター・カリスマ」 などという名を奉られていた。性格的に少々偽悪的な
ところがあったとも思われるので、落ち込みやすいデイヴィッドの気持ちを引き立てようとか、
その場の沈んだ雰囲気を盛り上げようという意図も少しはあったかもしれないが、冗談半分
本気半分、といったところだったのではないだろうか。曲作りにしても、どこまで本当かは
分からないとしても、「あなたの曲は特定の経験に基づくものですか?」 というよくある
質問に、「想像の産物だよ。僕はデイヴィッドとは違うから。彼は山や空を見て書くん
だけど、僕はただ書けるんだ」 と答えていたこともある。そんな二人の共通点の一つが、
「ライブよりもスタジオが好き」 だった。エディンバラの図書館で再会したことがきっかけ
で一緒に活動を始めた二人は、元々はバンドをやろうと言うよりは作曲家を目指していた。
そんな彼ららしいことだが、それに 「スタジオよりもライブが好き」 というイアンとスチュアート
が絡まって、パイロットというバンドはバランスが取れていたのだった。

(写真左上/10代の女の子向けの雑誌より。誌名不詳、75年)



BACK NEXT