Chapter 3 / Taking Off 第3章 離陸


From The Album Of The Same Name



EMI と契約を交わした彼らは、故郷を離れてロンドンに拠点 を
移す決心をする。「エディンバラにはいいミュージシャンがたくさん
いる。 でも、活動の場がないんだ。あそこではどうにもならない。
成功しようと思ったら南に行か なけりゃ」。マネージメントは Nick
と Tim の Heath 兄弟(後にKorgis等も手がける)に決まった。
そして彼らはPILOT と しての活動を開始した。1974年のことで
ある。

彼らの第一歩を印すための記念すべきデビュー・シングルは、
74年6月7日に発売された Just A Smile (EMI 2171、B面は
Don't Speak Loudly。以下、特に断らない限り番号はUK盤の
ものである)である。結果だけ見ればあまり売れ行きはよくなかっ
た。その証拠に、このデビュー盤はパイロットのシングルの中で
最も入手困難である。だが、パイロットという名前を人々に知らし
めるきっかけにはなった。

ここで付け加えておきたいのが、このデビュー盤 Just A Smile
のB面の Don't Speak Loudly が、アルバムとはヴァージョン違い
であるという点である。大きな相違点は二つ。第一に、中間部の
ギターが、アルバム・ヴァージョンは二声であるのに対してシング
ルでは一声であること、第二に、ギターのバッキングのパターンが
多少異なる。

ものごとは一旦転がり始めると、速い。1974年4月、彼らはロンドンのAbbey Road Studiosでデビュー・アルバムの録音に
着手した。およそ3ヵ月をかけて録音されたこのアルバムは、「どの曲も、一度や二度はどこかのレコード会社に送ったこと
がある。その度に 『今後に期待します』 と返されてきた。『マジック』 だって例外じゃない」 というイアンの言葉からも分かる
ように、書き溜めた曲の中から選び抜いてのものだった。プロデューサーには数名の候補の中からメンバーによってアラン・
パーソンズが選ばれ、そしてEMIは大々的な売り出しにかかった。分かっているだけでも10月12日付、10月26日付、そして
11月30日付、12月7日付と大きく2回に分けて Melody Maker, New Musical Express, Disc, Record Mirror といった有力
音楽新聞に、彼らのデビュー・アルバム From The Album Of The Same Name (EMC 3045) の全面広告を打ったのだ。
ファースト・アルバムが店頭に並ぶ頃にはイアンも正式にメンバーとして加入していた。99年暮れのアラン・パーソンズ来日
の際に行われた雑誌 「ストレンジ・デイズ」 のインタビュー(2000年5月号)で、イアンが 「契約書にサインするのが遅れた
ためにファーストにはセッション・マンとしてクレジットされているが、実は最初からメンバーだった」 と答えており、その点を
疑問視する声も一部にあるが、当時の新聞記事を見ると、74年11月にはもう正式メンバーとして登場している。イアンの発言
は正確なものと言えよう。

そして、ほぼ時を同じくして、たたみかけるようにセカンド・シングル Magic (EMI 2217、B面はアルバム未収録の Just Let Me
Be。先般、米Collectablesより世界初CD化) も発売され、これは大ヒットとなった。英本国はもとより、アメリカで大当たりし、
じわじわとチャートを上って行って、遂に75年7月12日付けでビルボード第5位という成績を残している。この曲は比較的以前
からデイヴィッドが温めていたもので、この3年ほど前に彼がエディンバラで牛乳配達をしていた頃に出来たと言う。アラン・
パーソンズによれば、3年間放っておくうちに、デイヴィッドは「マジック」の高音部が苦しくなっており、元のキーに戻すまで
に数日かけて徐々に上げていかねばならなかったそうだ。

また、彼らはこの頃、SPARKSの全英ツアーにサポート・バンドとして同行し、自信をつけた。「お客はみんなスパークスを見に
来たんであって、僕らのことなんか誰も知らなかった。 『マジック』 を演奏したら初めて僕らが何者か分かったんだよ。あんな
大ヒットを持ってるサポート・バンドはそうはないだろうな。それに、僕らには経験が必要だった。そう考えれば上出来だったと
思うよ」 と当時デイヴィッドは語っている。事実、そのツアーではかなりの好感触を得たらしい。それまでにパイロットとして人前
で演奏したのは、実はたったの一度だけ、それもレコード会社のコンベンションだったのだ。それぞれが様々なバンドで十分に
経験を積んでいたとはいえ、多少の不安はあったのだろう。それについて、日頃は口数が少なく、たまに気が向くと歯に衣
着せぬ物言いで慣れない者を驚かせる癖のあるビリーも、こんなことを言っている。「人はみな、僕らが学校を卒業してそのまま
直ぐにこうしてパイロットとしてデビューしたように思ってる。なるほど、僕らは若いかもしれない。パイロットとしては日も浅い。
でも、4人とも長い間沢山のバンドで相当ハードにやってきたんだ」。トッシュ君も、「お客は僕らのこと、にやにやしながら突っ
立ってるだけ、ギターはジャカジャカかき鳴らすだけ、みたいに思ってるんじゃないかって気がしちゃうんだよね」 と皮肉な言い
方をしている。レコードが売れるのは嬉しいが、ルックスやイメージが先行してしまって、実力が正当に評価されないという悩み
は、デビューのその時から彼らにつきまとっていたのである。




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