Chapter 2 / The Runway 第2章 滑走路



BCRを離れたDavidは、音楽図書館によく通っていた。それが "Library Door"の舞台となる
Edinburgh Music Libraryであるが、その名前では探し当てる事が出来なかった。現地の省庁にいろいろ
問い合わせた結果、現在のEdinburgh Central Libraryの音楽室がそれに当たるということが分かった。貰った
地図を頼りに歩いてみると、エディンバラの中心部から少し離れた静かな通りに、それはあった。表紙の建物である。


ある日、デイヴィッドはそこでBillyと再会した。BCR当時はそれほど
親しくもなかった彼らだが、数年後のこの場所で、二人の生涯に渡る絆が
結ばれた。ビリーは勤め先のCraighall Studiosにデイヴィッドを連れて
行き、スタジオの空き時間を利用して一緒に曲作りをするようになった。
始めはトランクや空き箱をドラム代わりにしていたが、デモを作りためていく
うちに物足りなくなり、デイヴィッドが Tifanny'sで知り合ったStuartを連れて来た。
スチュートはエディンバラでは当時既に有名なドラマーだった。初めのうちは
ただそうするのが楽しいからしていただけだった仲間うちのセッションでも、
だんだんと夢は広がっていく。「作曲家になりたかったのであって、自分で歌うという
ことは考えていなかった」 と言っていたデイヴィッドも、「元々クラシックが好きで、
ポピュラーはろくに知らなかった」 ビリーも、スチュアートという強い味方を得て、遂にデモ・テープを手にロンドンに
向かう。軒並み断られた中で、スチュアートの父親の知り合いだったEMIのJohn Cavanaughが興味を示し、
彼の肝いりで契約に漕ぎつけた。(写真左上/71年頃のBCR。前列左がビリー)



共に71年頃のBCR。
写真左/デイヴィッド(右端)とビリー(左端)が共に在籍した頃のもの。
写真右/左から二人目がデイヴィッド。右端の男性はビリーによく似ているが、Archie という名の別人。


ところで、PILOTという名前の由来をご存知だろうか?これはオリジナル・メンバー3人の頭文字をつなげたもので、
P-i-L-o-T、すなわち、PatonのP、LyallのL、ToshのTから来ているのだ。少し遅れてメンバーとなる Ian の I が
PILOTに含まれていたのは偶然だと言うが、そこに運命や必然を感じてしまうのは私だけではないと思う。
やがて彼らはファースト・アルバムの録音のためにスタジオ入りするが、デイヴィッドがギターとベースを兼任しており、
やはりどうしてもギタリストがもう一人必要になる。そこでオーディションをしたのだが、その時同じスタジオに
居合わせたのが、3人より一足早くロンドンに来てセッション・マンとして活動していたイアンだった。
「ギタリストが要るんだったら、何でまず俺に一声かけないんだよ」 「いや、だって俺達とじゃ物足りないだろうと思ってさ」 。
事実、彼はその時、 Yvonne Keeley の Tumbling Downでのセッションを高く評価したSteve Harley から
新しいバンド Cockney Rebel への加入を懇願されてもいたのだった。考えた末、既に名のあるスティーブ・ハーリーが
作るバンドよりも、ゼロから出発できるパイロットの方を彼は選ぶ。こうして彼らは離陸した。




ちょっとCraighall Studiosについて書いておきたい。エディンバラでは大きなスタジオだったらしい。85年までは
営業していたのを確認したが、現在は廃業しており、一般の民家として使われている。上のレコードは
Craighall Studiosで録音されたもので、いずれもスチュアートがドラムを叩いている。右はEdinburgh Students
Charities Appeal という4曲入りシングルで、This'n'That というバンドで参加している。左はそのアセテート盤。
67年のものなので、残念ながら、当時まだ学生のビリーはこの録音にはタッチしていない。



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