Stuart Tosh


Stuart は 76年夏のPilot 脱退後、Roger Daltrey のソロ・アルバム One Of The Boys 等への
参加を経て、77年4月に10ccのワールド・ツアー要員として抜擢された。
当時4人から2人になってしまった10cc にとって、この長期にわたる大規模なツアーは
ミュージシャン生命を賭けた重要なものだった。ドラムが叩けて歌も歌え、
時にはギターまでこなすスチュアートは彼らの要求に十二分に応えた。
性格も明るく穏やかな彼を、10cc は手放したくなくなった。
ワールド・ツアーも半ばの77年10月、10cc はスチュアートを含む
ツアー・サポートの4人を正式メンバーとして迎え入れることを発表した。
以来彼は10ccがデュオに戻った後も彼らを助け続け、メンバーの
ソロを含めて7枚のアルバムに参加し、彼らと共に3回来日もしている。




セッションとしてはAlan Parsons Project や John Townley
等が挙げられるが、判明している仕事の数はビリー同様
多くはない。一つには70年代後半から80年代にかけての
数年間を10cc最優先で過ごしたせいもあろうが、謎が残る。
特に、87年にCliff Richard の Silver Connection なる
アルバムの録音に参加したというのだが、クリフにそういう
アルバムはなく、87年前後のアルバムにもスチュアートの
名は記録されていない。今後の課題の一つである。
パイロット人脈での仕事も多く、デイヴィッドの初ソロ・
アルバムへの参加や、当時 Camel をサポートしていた
デイヴィッドの推薦であろうか、キャメルの10周年記念
ツアーにデイヴィッドと共に参加しており、その様子は
On The Road 82 というアルバムとして残っている。
ブックレットやツアー・プログラムにはツアー・メンバーの
楽しそうな写真も数葉収められている。
(写真)「スチュワート・トッシュとその一座」と一部で呼ばれているもの。
左端にデイヴィッド、右から二人目にはChris Rainbowの姿もある。
右端がキャメルのリーダー、Andrew Latimer。


一時期前夫人とニュー・ヨークに住んでいたが、現在ではイギリスに戻っており、90年代に入ってからは
ステージ・ミュージカル・ショウの仕事をメインに据えている。ロング・ランになることが多く、全英を巡業する
毎日だそうだ。95年にピカデリー・シアターでOnly The Lonely -The Roy Orbison Story を見たが、
それも数年にわたる長期公演になっていた。その後も 4 Steps To Heaven という、既に故人に
なっている4人のオールディーズ・スターがステージで歌い踊るという趣向のミュージカル(これも
ロング・ラン)等に出演していた。他にもホーン・セクションを含むThe Guild of Thieves Band
いう10人編成のソウル・バンドにも参加している。現夫人との間には幼いお嬢さんもあり、
まだまだ現役で頑張ってくれそうで頼もしい限りである。


Only The Lonely-The Roy Orbison Story
のプログラム。
その中のトッシュ君の写真。彼はもう
カーリー・ヘアではない。




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