2002年10月 EDINBURGH エディンバラ 「それは知らなかったよ」と驚いたようにDAVIDは答えた。 実はこれも「やり直し」の旅だった。2002年7月、イギリスとノルウェーを船で廻る旅をした。 正直に言って生涯において最もリッチな旅だったが、日程のなかで丸一日、エディンバラに 寄港する日があって、自由に観光ができる点が魅力だったのだ。エディンバラの港LEITHは DAVIDが少年時代を過ごした場所でもあるという。しかし、残念なことに当日は天候が悪く、 濃霧のため港が閉鎖され、船は予定を変更してノルウェーに向かってしまったのである。 そのときIANの故郷であるシェットランド諸島の沖も通過したのだが、夜中だったので 島影すら見ることはできなかった。 そこで秋に再びスコットランドへの旅を計画したのだ。この旅は充実した旅になった。 家族が日本に一時帰国していたため、職場の同僚を誘って、スイスのチューリヒから ロンドンを経由してエディンバラに飛び、レンタカーでスコットランドを廻った。 エディンバラではPILOTの「聖地巡り」をするつもりだった。 DAVIDは「MORNINGSIDEの墓地に行った?」と訊いてきた。 私は「ええ、行きました」と答えた。 この墓地にはBILLYのお墓があるのだ。近くの花屋で買った花束を ピアノの形をした彼の墓前に供えてきた。それ以上はDAVIDは何も言わなかった。 私も何も言えなかった。けれど、そのことがかえって、BILLYの死を悼む強い気持ちを DAVIDが持ちつづけていることを感じさせた。 それから、彼の自宅があるというLIBERTONを散歩したことを話した。彼は自宅を 公表していないため、私はホテルにあった電話帳を使って、彼が自宅で 経営しているという音楽スタジオを見つけようとしたが、それは失敗に終わった。 そこは市の南部に位置する閑静な住宅街だった。地元の人らしいおじさんに 「MR.PATONを知りませんか?彼はこの近くに住んでいて、世界的なミュージシャンなんです!」 と尋ねてみたが、「知らないなあ」と言われてしまった。 次にトッシュ君のステージを見たことも話した。彼はちょうどその時、市内の劇場での ショウに出演していた。インターネットを使ってチケットを取ることができたのだ。 「エディンバラのキングズシアターで、『ROCK'N'ROLL HEAVEN 』を見たんです。 ほら、スチュアート・トッシュ氏がドラムを叩いている・・・」 キングズシアターはBILLYの育ったTOLLCROSSのすぐそばにあった。 それは、エルビス・プレスリーやバディー・ホリーなど既にこの世にいない6人のスターたちが 次々に現れてヒット曲を演奏するというスタイルのショウで、トッシュ君はドラムスとコーラスを 担当していた。白くなった髪を短く刈り上げていて、ずいぶん印象は変わったが、 若いミュージシャン達に囲まれて終始楽しそうに演奏していた。短いけれども、ドラムソロを 披露する場面もあった。世の中には彼よりも技術的に巧いドラマーは大勢いるのだろうけど、 彼ほどの「歌えるドラマー」は滅多にいないんじゃないだろうか。 ステージの感想を訊かれ「素晴らしかった」と答えると、「スチュアートと話をした?」と 訊かれたが首を横に振るしかなかった。 観客の平均年齢は50歳以上だと思われた。しかし、「エルビス」のステージでは、 80歳を超えていると思われるおばあちゃんが舞台の前にでてきて踊り始めたり、 最後に全員がそろって演奏した時には客席の全員が総立ちになって歌い踊った。 熱気にあふれたショウだった。 こういったショウの出演のほか、地元の10人編成のロックンロールバンドでも彼は活動している。 そして暇なときは熱心にゴルフをしているそうだ。(エディンバラからそう遠くない海辺の街 セント・アンドリュースにも寄ったが、この街がゴルフ発祥の地だそうだ)。 |
![]() (Leith の風景) デイヴィッドが幼い日々を過ごした港町。 |
![]() (Morningside にあるビリーの墓碑) ユリの花束はゼンサクさんとお友達が 手向けられたもの。 95年に我々がお参りした時も、 庭で丹精されたものでしょうか、 白と黄色の小菊が明らかに同じ人の手で 活けられておりました。 ビリーを愛するご家族の誰かがきっと 今も花を絶やさないのでしょう。 |